日曜日は魔法のコ

日曜日はやめられない 魔法のコ

ありがとう、またね。

こういう話を扱うのはとても難しく、人によってはこういう話でview数を稼ごうとするんじゃないと批判を受けそうだが、view数伸ばすならnoteでやるし少し心のもやもやが晴れないので、ここに書き落とさせてほしい。

今朝、祖母から連絡があり、曾祖母が亡くなったそうだ。
おもえば、山場だと言われていた、4/27頃から奇跡的な持ち直しをし今日まで生きていた。98歳、大往生である。曾祖母は大変お美しく活発でわたしは彼女みたいになりたいと思っていた。
曾祖母は大正産まれ、幼少期から足が早く頭の回転も早く男の子を蹴散らして泣かせるほどの人だったという。曾祖母曰く勉強は理解できるから驚くほどつまらない、当時席順が成績順で成績いい人から奥に座れる方式でいっつも奥に座っていたがある日お転婆がすぎて前の席になったことがあったこともあったという。
そんな学生時代を経て曾祖母は女学院へと進学する。女学院の袴姿を見た時に今はこんなにしわくちゃだけど若い頃はこんなにも凛々しく美しいのかと感じた。笑った顔はしわくちゃのままでも面影に残るほどすごく可愛らしい。わたしはそんな祖母の姿を見て自分の成人式の袴は曾祖母のようにレトロでモダンなものにしようと決めた。真っ赤な振り袖に曾祖母の好きな花の一つである椿をあしらったヘアアクセをつけた。成人式の写真をわたしが見せると曾祖母はそっと「わたしによく似てるわね」と呟いた。
成人式はわたしにとってターニングポイントとなるものが多々起こり、少し気後れしていたのだが曾祖母の一言ですごく励まされた。

曾祖母との思い出はたくさんある、小学校の頃に大根を育てる授業があり家庭菜園をしていた曾祖母の知恵を借りて立派な研究発表をしたことも昨日のことのように思い出せる。
曾祖母は90歳頃まで本当に元気だった、ゲートボール大会では何回も優勝して、特に何も不便には感じていなかったけれど、お友達増やすためにデイサービスに通ったりしてそこでのゲーム大会にも優勝して景品のアクリルたわしを大量に貰ってきてはよくわたしにプレゼントしてくれた。その時も口癖のように「ゲームはつまらん、年寄りだからって…簡単すぎるからすぐ勝っちゃうね」とあの可愛らしい笑顔で言っていた。ファミコンでよく麻雀を教えてくれた。お蔭で鳴いて聴牌してジリジリ勝つ戦法だけ覚えた。

曾祖母をは老衰で亡くなったらしい。

どこで亡くなったかも聞いていない、恐らく病院だとは思う。老衰はある程度苦しまずに亡くなるという、痛い思いや苦しい思いをしなかったのはよかったとわたしは思う。
95歳ぐらいの頃、曾祖母の様子が少しずつおかしくなっていった。なんだか少し元気がない。今まではよく折り紙したり、時代劇見てやっぱり松平健はかっこいいねなんて言ったり、一緒に土いじりをしていたのに、ぼーっと外を見たまま、大好物のホタテの貝柱を干したやつも隠れて食べたりしていなかった。(曾祖母はよく隠れて意図的にホタテの貝柱を食べては娘である祖母に怒られていた。認知症ではなくこれは子どもがよくやる一般的ないたずらだと認識している。)
わたしも実生活が忙しくなり、帰省するタイミングが減っていったのだが会うたびにやせ細っていく曾祖母を見るのは少し辛いものがあった。わたしのことは、母の姉とずっと勘違いしてた。昔からよく親戚一同に間違えられていたが、やせ細った曾祖母に言われた時、これが認知症なんだなと思った。
目を閉じて曾祖母を思い出すと、ふっくらとしたお顔と、最後にあったやせ細った顔と2つ思い浮かぶ。でもどちらも笑った顔は変わらず可愛らしい。

最後にあったのは今年の正月だった。曾祖母は酒豪でわたしは曾祖母とお酒が飲めるのを楽しみしていた。おせちを突きながら二人で呑んだお酒の味は忘れないだろう。わたしは曾祖母のようにお酒が強いわけではないけれど、わたしがそっちに言ったら一緒に好物のホタテの貝柱を食べながらお酒をたくさんのもうね。

わたしは貴方の直属のひ孫だから、とても長生きすると思うの。
わたしもしわくちゃになっちゃうだろうから、そっちに言っても知らんぷりしないでね。
20年前に別れたおじいさんと仲良くしてね。
それから、それから、伝えたい言葉はたくさんあるけど今は胸にしまっておくね。
じゃあ、またね。カヨおばあちゃん。

2019.5.28 Hana Sakanai